私個人は1年間休会中ですが、
師範のえらいこっちゃなブログを見て
久々にペンならぬキーボードに向かいました。
下記、仲宗根源和 編集の空手研究より
「空手一夕譚」本部朝基 一部抜粋
糸洲先生が中学校下に住んで居られる頃、
私は一日先生をお尋ねして、いろいろ武芸談や世間話をして居た。
丁度そこへ学生が二三人訪ねて来て、席に加わって話して居るうちに、
糸洲先生は学生に向かって型を所望された。
学生の演武した型は、以前に私がならった「チャンナン」といふ型によく似ているが
多少違って居るところがある。
「なんと云ふ型です?」
と学生にたづねて見ると
「ピンアンの型です」
とのことであつた。
間もなく学生諸君は帰つたので、
先生に向かって私は質問した。
「私はチャンナンといふ名で習ひ、型も今のとは違ふやうですが、どういふわけですか?」
すると糸洲先生は
「その頃とは型は多少違つて居るが、
今では学生のやつたあの通りの型に決定して居る。
名称もみなが平安がよいといふから、若い者達の意見通りにさうしたのだ。」
とのお話であった。
此型は糸洲先生の創始(つく)られたものだが、
先生一代の間に右のやうな変化があつた。
抜粋終了
まあ、何が書きたかったと言うと
私はこの文章を読んだときに学生は平安初段と二段の型をやったのだろうと
チャンナンとは初段二段のことと勝手に思い込んでいた事。
本部はピンアンをみてチャンナンに似てる
と書いているのに。
学生が平安の型の内一つだけ見せたのか?
初段から五段まで見せたのか?は書いていない。
と言う私の勘違い、思い込みを書きたかったのかなぁ・・・?
とここまで書いて考えてしまったので終了。